原付ツーリング紀行1991SUMMER

これは、カダフィ企画の本Vol.72「がむしゃら1600Km」の内容に加筆修正したものです。



(ページ作成についてのマエガキ)
どうも、カダフィ企画の西田です。
この本は、1991年の8月下旬(大学4年の時)に自分が行った北陸一周原付ツーリング「君は太平洋を見たか。僕は日本海が見たい」ツアーの道中記であります。
普段のカダフィ企画とはかなり雰囲気の違うページですが、ご一読のほどをお願いします。

1999.3.1 (月)
カダフィ企画総帥 西田誠


プロローグ
ここで、なぜ自分がこのツーリングに出たかを説明します。自分は当時大学4年生で、夏休みは就職活動・卒論・夏コミ等で多忙だった為、「夏休み どこにも行けず コミケだけ」という状態に陥ってました。学生生活最後の夏がこんな形で過ぎていくのはあまりにもイヤだった為、買ったばかりの2台目ヤマハJOG50「シュツルモビク」号での長距離ツーリングを計画、どうせなら日本海を見ようという事で北陸一周を実行したと言う訳です。
以下からは、日程毎の道中記をお送りいたします。


(1日目)1991.8.24(土)
静岡→松本
いつもより早く朝7時起床。(当時の我輩は朝10時過ぎでないと起きなかった。)インスタントラーメンの朝メシも底々に8:40静大片山寮(当時の我輩のネグラ)を出発。R1→R52ルートで一路甲府を目指す。
山梨県内に入り、JR身延線十島駅で最初の休憩。写真を撮ろうとした所、KGBに見つかった、もとい、カメラのスイッチが入りっぱなしで電池が上がってしまい、芝川町のカメラ屋で新しいのを買う羽目に。 このあたりから座りっぱなしの為ケツが痛くなる。市川町で昼メシを済ませ、14時半甲府市内に入る。予定では昼頃に着くつもりだったので少々あせった。
甲府からはR20経由で一路松本へ。甲府盆地を抜けると、一方的な緩い上り坂。単調、単調、さらに単調という、当時某雑誌ではやりだったフレーズがピッタリの道で、自分の現在位置がわからなくなった事も。
長野県境を越えた途端、いきなり目の前に白バイが2台出現したので「ヤバい!またスピード違反か!?」と大あせりしたが、他の車を追っている事が分かってホッとした。
(注・我輩はこの年の6月、スピード違反で捕まっている。)(泣)
諏訪市内に入る頃には日もとっぷりと暮れ、この日最後の給油を済ませた後、一路塩尻峠へ。塩尻峠は標高1000M以上の高所で、スクーターでこれほどの高所に上がったのはこれで2度目である。
松本市内に突入、銭湯を探して風呂に入った後、JR南松本駅の軒先にて野宿。最初は近くのバス停の待合所だったが、寝づらいのと警官に職務質問を食らったのとで移動。東スポをフトン代わりにZZZ…。

本日の走行距離
237.1Km


(2日目)1991.8.25(日)
松本→富山

朝6時起床。R158を松本電鉄沿いに新島々へ向かう。途中のコンビニで出たばかりの「ドクター秩父山」3巻を見つけるが、その時既に大学そばの本屋に注文していた為買わずじまい。コンビニの弁当と新島々駅食堂の豚汁で朝メシを済ませる。新島々駅はトイレが臭いが水は冷たくて気持ちがいいぞ。
松本市内へUターンしてR147を一路北上。40Kmをひた走り、大町市へ。日本海まで後80Km!いいかげんケツが痛い。更に飛ばす事40Km、JR南小谷駅に到着。しばらくエンジン休憩。休憩中も次から次へとツーリングライダーがやって来る。でもさすがにスクーターというのは自分一人のようだ。ヒマがあったので駅のラクガキノートを見ると、夏コミ参加者の文章があったので思わず「同志!!」と書いてしまった。
南小谷駅からしばらくすると、下りの急坂が連続する。さすがは”日本の裂け目”フォッサマグナの最北端、20Kmの間に500mも下る急坂・ヘアピン・トンネル・落石よけの連続である。この頃、寝不足がたたって睡魔に襲われ始める。下りの急坂をひた走り、新潟県に突入。JR根知駅で休憩。待合室に「りぼん」が数冊あったため、しぱらく読みふけってしまった。「りぼん」には「チャイム」3巻辺りの話が載っていた。

(追記)
この辺、現在では長野オリンピックの際の道路整備により、当時からは考えられないほど道が良くなっています。

走行を再開し、糸魚川市街突入。R8バイパスまで前進し、ついに日本海を目の当たりにする。とうとうここまで来た!!



お詫び
本来ならばここで日本海の写真を載せる予定でしたが、写真を紛失してしまいました。
申し訳ございません。


JR糸魚川駅で休憩後、R8を西進、富山へ向かう。いいかげん眠くなってきたのでJR市振駅にて40分ばかり仮眠を取る。 そして県境を越え、一路富山へ。途中JR生地駅にて休憩。駅前の湧水はとてもうまかった。(あのあたりは黒部川の扇状地である為、あちこちで湧水が出るのだ。)道の途中では死の、じゃなかった、町内マラソン大会をやってたな。
富山地方鉄道の電鉄黒部駅前の食堂で晩メシ。魚津市に入る頃にはすっかり夜。2度目の夜間大爆走である。富山市入りし、銭湯を探して風呂に入り、JR富山駅前にて野宿。ちなみに富山駅前にはマイクロバス改造の屋台ラーメン屋が夜10時過ぎから出ており、これがとてもうまい!
(いつぞやの「ズームイン!朝」にも出てた。)
富山へ行ったら一回は食すように!!
本日の走行距離
294.7Km


(2日目)1991.8.26(月)
富山→福井

朝6時起床。富山駅前より不二越→JR下奥井駅へ移動、駅前の店でパンを買い、朝メシ。その後、高岡に向け西進。途中、「金の玉」なる、ろくでもねぇ名前のパチンコ屋を見つける。


高岡からR415で氷見へ。今日からウイークデーになったので旅行貯金を開始。途中で見る富山湾の眺めはとても綺麗であった。氷見からR160経由で高岡へ戻り、R8で倶梨伽羅峠を越え、石川県に入る。
河北潟を大回りするコースを取り、金沢市街へ。そして福井へ。途中、小松市内で北陸本線の架線事故現場に出くわす。クレーン車が無理に踏切を通ろうとして架線を引っかけ、垂れた架線に上り「雷鳥」がパンタグラフを引っかけて立ち往生してしまったとの事。


事故現場!

加賀市では、R8脇に「北陸秘宝館」なる物を発見!入ってみようと思ったがすでに閉まっており、写真を撮るにとどまった。


これが「北陸秘宝館」だッ!!

なお、この「北陸秘宝館」については、某同人誌がこの頃秘宝館レポートを募集していたので送ったら載ってしまいました。あちらさん元気かなあ?

福井県に入る手前、R8のドライブインで晩メシ。そこには名物の「とり野菜」という鍋があったのだがゼニをケチって食べなかった。後で思いっきり後悔した。我輩がそこの「とり野菜」を口にできたのは、6年後、「ナホトカ号」重油流出事故のボランティアの帰りであった。

福井県入りする頃には既に夜となり、田んぼ道をまたもやの夜間大爆走で福井市へ。途中見つけた銭湯で風呂に入るが、そこの「電子風呂」は入った途端「♪電流火花が、体を走る〜」とばかりに体が大いに「♪シ〜ビレちゃった、シ〜ビレちゃった、シ〜ビレちゃったよ〜」になってしまった。思わず
「KGBが生易しいところでない事を教えてやる!!」
の世界である。
ガス欠寸前で開いてるスタンドを見つけて給油。コインランドリーの場所を聞き、汚れ物がたまっていたので洗濯。福井駅に着き、ラーメンの屋台で夜食。静岡からスクーターで来た事を話すとおやじさんは驚いていた。
というわけで福井駅にて野宿。

本日の走行距離
267.0Km
旅行貯金
10ヶ所


(4日目)1991.8.27(火) 福井→米原

朝6時起床。福井駅の駅ソバで朝メシを済ませ、京福電鉄の線路沿いに三国→勝山→大野市へ。その後R158をスッ飛ばして福井市へ戻り、大学の後輩・K宅へ行くが、TZRが無かったので一路敦賀方向へ。途中、福井鉄道の駅にて入場券集めを行う。


福井鉄道・浅水駅と「シュツルモビク」号

武生からはR365を南下して今庄へ。
今庄からは、北陸トンネル完成により廃線となった北陸本線旧線跡を利用した道路を通ってR8へ抜けたのだが、途中のトンネルがものすごく恐ろしいのだ!! 元々が明治時代に作られた鉄道用単線トンネルである為照明なしで真っ暗な上、あちこちから地下水が染み出し、屑野殺気じゃなかった、お化けの一つも出かねんような雰囲気だったのだ!おまけにスクーターのカゴに荷物を入れていた為、ライトが効かず前が真っ暗で、出口ははるか先に光の点となって見え、まるで地獄の底にヘルダイブの如くであった。あの道は2度と通らん!!
あのトンネルは長さ1Kmは楽に有って、こういうのが4.5本連続しているのだ、ここは。しかしこのトンネルの真ん中で対向車同士が鉢合わせになったらどうしたんだろうか。途中にすれ違いのできる場所なんか何もないぞ、ここは。


これがそのトンネルの出口




しかし、トンネルの切れ間から見る敦賀湾はとても綺麗であった。


敦賀湾沿いにR8をひた走って敦賀市内に入り、駅前食堂で晩メシ。新疋田駅に行ったら落書きノートがあったので、ツーリングの話を書き込む。この頃には日もとっぷりと暮れ、夜の塩津街道を恒例の大爆走。長浜で風呂に入り、米原駅で野宿。米原は何も無い所だ!(当時)スキっ腹を抱えつつ寝る。夜中に2回目の職務質問を喰う。

本日の走行距離
326.0Km
旅行貯金
22ヶ所


(5日目)1991.8.28(水)

6時起床。R21を東進し、関ヶ原の売店でようやく朝メシ。そこの自販機でとんでもない発見をしてしまった。恐怖のゲゲボドリンク、その名も
「闘う健康飲料”砂漠の嵐”」!!
飲んでしまった事は言うまでもない。(貴様ローディストだな!?ローディストに違いあるまい!!)
大垣から近鉄養老線沿いに南下して桑名へ。途中、パチンコ屋で「北斗の拳」のシン(アニメ版)とアニメ風美少女キャラ(何ぞのOAVか何かだと思いましたが)がデカデカと描かれた看板を発見してしまった。


どうせならアミバ様も描いてほしかった・・・


(アップに際しての追記)
どうやら、「リヨン伝説フレア」という作品らしいです。

  桑名からはR1を東進、近鉄の入場券を集めながら名古屋へ。しかし名古屋駅前を原付で通るとは思わなかった。名古屋からはR1を南下、名鉄の入場券を集めながら一路浜松へ。
音羽町を過ぎる辺りから夜となり、お約束の夜間大爆走で9時頃浜松市内突入。スタンドの店員に北陸ツーリングの話をしたら驚いていた。
無警告で実家に着いたらこれまたみんな驚いていた。
風呂に入って久々のフトンで寝た。

本日の走行距離
284.4Km
旅行貯金
14ヶ所


(6.7日目)1991.8.29−30(木・金)

実家に滞在、浜松市内で古本屋ツアーを行う。しかしこの状態で「実は北陸ツーリングの真っ最中なんです。」と言っても誰が信じるだろうか。


(8日目)1991.8.31(土)
浜松→静岡

浜松を出発、R1を一路静岡へ。途中、袋井駅キオスクにて寮の連中への土産の「うなぎパイ」を買う。これが北陸行った土産かっつーの!! 16時過ぎ、静大片山寮到着。オドメーターは2288.3Kmを指していた。
あ゛〜 、疲れた!!


エピローグ

全走行距離 1608.0Km
消費ガソリン 45.7リットル
旅行貯金 46ヶ所
総費用 39012円

しかし我ながらよく行ったなあ。

(この話をすると未だにみんな呆れ顔をする。)


戻るのだぁぁぁぁ!!。
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