このコーナーのトップに使われている絵は、橋本雅邦先生・作の「乳狼吼月」(1898年製作)という絵ですが、この絵はタイトルに「乳狼」と付けられているにもかかわらず、子供に乳を与えるなどの乳に関連する事象が全く存在しない事に皆様お気づきでしょうか?
この絵が描かれた明治時代、ニホンオオカミはその生息数を激減させ、1905年(明治38年)に奈良県内で捕獲されたのを最後に生存例は全く確認されなくなり、もはや絶滅してしまったという説が定説となっています。
しかし、なぜニホンオオカミは明治時代に入って急激に個体数を減少させてしまったのでしょうか?
そして、ニホンオオカミは本当に絶滅してしまったのでしょうか?
我がカダフィ企画が調査を行ないましたところ、この絵のタイトルの「乳狼」とは、「乳を与える狼」ではなく、「乳製品を背負った狼」である可能性が高いと言う事が分かりました。では、なぜ狼が乳製品を背負っていたのでしょうか?そして、その乳製品とは一体何だったのでしょうか?その謎を解く手掛かりは、調査の過程で入手したある資料に存在します。
このような習慣は古く江戸時代から存在したわけですが、一部愛好者の中には、更なる快楽を求めて、当時の日本各地に広く生息していたニホンオオカミを用いようとする者が現れました。しかしながら、犬と違って野生動物であるニホンオオカミはなかなか人に馴れる事はなく、ましてや奉仕犬ならぬ奉仕オオカミとして調教する事は至難の技であり、その存在は半ば伝説化していました。
しかし、明治維新を迎え、欧米の文化が国内に広まるに連れ、日本人の間にも乳製品を利用する習慣が広まり、これに目を付けた奉仕犬調教師の間で調教に乳製品の一種であるバターを利用すると言う調教法が広まりました。そして、この方法が奉仕オオカミの調教にも有効である事が判明し、今まで伝説の存在であった奉仕オオカミを現実に供給する事が可能となりました。ところが、この事がニホンオオカミに、思いもよらなかった災難を及ぼす事になってしまったのです。
個体数減少→
野生種捕獲・調教→
個体数減少
という悪循環が繰り返され、前述のようにニホンオオカミの個体は明治を最後に確認される事は無くなってしまいました。ブドウ球菌の中から、ペニシリン耐性のブドウ球菌に対して開発された合成ペニシリンであるメチシリンにも耐性を得た黄色ブドウ球菌(MRSA)が出現してしまった様に、ニホンオオカミの中にも脂肪分の大量摂取を行なっても体に不調をきたしにくい種が出現した可能性が高い事が、冒頭で紹介した「乳狼吼月」より推測されます。
我がカダフィ企画の追跡調査によりますと、これらの種は新宿歌舞伎町や大久保などの特殊環境下に措いて、そこで生きる女性に快楽を与え、女性からは庇護を受けるという、生物学で言う所の「共生」(例・クマノミとイソギンチャク)という関係を築き上げ、歴史の表舞台からは隠された形で現在に至るまで、細々と、しかし大切に保護され、生存していると言われています。
なお、現在でも部外者のニホンオオカミに対するコンタクトは個体保護の為厳しく制限されており、特殊環境の事情に詳しい方によると、コンタクトの為には長期に渡って生息地に足を運び、保護の為に十分な投資を行なうなどの活動が必要であるとの事です。
明治時代より現在に至るまで人々の手によって密かに守られてきたニホンオオカミ。この学術的に貴重な種の保存に精力的に取り組んできた先人達の業績に敬意を表しつつ、この特集を締めくくりたいと思います。
初出[カダフィ企画の本・Vol.187「のほほ37」]